智慧の光を求めて、あるがままの心へ。
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欲界を離れた色界での4種の段階。初禅・第二禅・第三禅・第四禅の称。
[聖求経より]
初禅・・・欲望を離れ、不善の事柄を離れ、粗なる思考あり、微細な思考があったが、遠離から生じた喜楽である、初禅を成就していた。
ニ禅・・・次に、粗なる思考と 微細なる思考との止滅の故に、内心が静安となり、心が統一し、粗なる思考なく 微細な思考なく、定 ( じょう ―― 瞑想 ) から生じた喜楽ある、第ニ禅を成就していた。
三禅・・・次に、喜に染まらないが故に、平静、無関心であり、想い、正しい気づかいあり、身体で安楽を感受していた。すなわち 聖者が、 「 平静であり、想いあり、安楽に とどまっている。」、 と説くところの、第三禅を成就していた。
四禅・・・次いで、楽を捨てて、苦を捨てるが故に、先に喜びと憂いを滅したので、不苦不楽であり、平静と想いとに良く清められている、第四禅を成就していた。
かくの如く、心が統一され、清浄で、清らかで、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し、不動となった時に、過去の生涯を想いを起こす知に 心を向けた。 すなわち、 一つの生涯、 二つの生涯、 三つの生涯、 四つの生涯、と、ここに無明が滅びて、明知が生じたのである。
[聖求経より]
初禅・・・欲望を離れ、不善の事柄を離れ、粗なる思考あり、微細な思考があったが、遠離から生じた喜楽である、初禅を成就していた。
ニ禅・・・次に、粗なる思考と 微細なる思考との止滅の故に、内心が静安となり、心が統一し、粗なる思考なく 微細な思考なく、定 ( じょう ―― 瞑想 ) から生じた喜楽ある、第ニ禅を成就していた。
三禅・・・次に、喜に染まらないが故に、平静、無関心であり、想い、正しい気づかいあり、身体で安楽を感受していた。すなわち 聖者が、 「 平静であり、想いあり、安楽に とどまっている。」、 と説くところの、第三禅を成就していた。
四禅・・・次いで、楽を捨てて、苦を捨てるが故に、先に喜びと憂いを滅したので、不苦不楽であり、平静と想いとに良く清められている、第四禅を成就していた。
かくの如く、心が統一され、清浄で、清らかで、汚れなく、柔らかで、巧みで、確立し、不動となった時に、過去の生涯を想いを起こす知に 心を向けた。 すなわち、 一つの生涯、 二つの生涯、 三つの生涯、 四つの生涯、と、ここに無明が滅びて、明知が生じたのである。
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